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萩の窯元

萩焼の歴史
400余年前、萩藩藩主、毛利輝元公が太閤秀吉の朝鮮出兵の元、朝鮮半島より連れ帰った李朝の陶工、李勺光、李敬を頭とする多数の人達がおりました。
その内、毛利家のお抱え窯として武士の扱いを受け、坂倉家、坂家が明治まで幾多の名品を作ってまいりました。江戸初期から三輪栄もお抱え窯に加えられています。初期には生活雑器を多数作っておりますが、茶の湯が盛んになり、茶陶萩焼の名は全国に広がり、「一楽、二萩、三唐津」と茶人に人気を博しました。明治に萩から山口に藩庁が移され、それに従って山口市でも萩焼の窯元が開窯され「山口萩」と呼ばれております。120窯が活動しております。


萩焼の土と釉薬その製法
萩焼の初期は萩市内の地土を使って始められましたが、山陽側の防府市に良い土が発見され、江戸中期以後は馬の背に乗せて土を山陰の萩まで運んでおりました。茶道具中心の小さな製品も多い事もありますが萩は萩を大変大切にします。防府市の台道で採れる土は、日本の焼物の中でも質も荒く、手に持った時大変軽いのが特徴です。又、焼物の土の中に空気が入りお茶を器に入れた時にお茶が冷めにくく又、手に熱さが伝わらないという特徴があります。
萩焼は長時間窯だきしません。登り窯でも一昼夜、ガス窯でも15時間程です。萩の土はあまり焼き締めてしまうと硬く味わいがなくなってしまいます。そのため食器としては丈夫さに欠けますが、柔らかさが味わいの焼物として愛されて来ました。
釉薬は萩の名物のカマボコを焼く時の炭や灰や風呂の薪の灰などの土灰と長石を混ぜた土灰釉が主流です。又、稲のわら灰を使った白萩釉が最近多くなってきました。胎土に砂を除いた「姫萩」と、小砂を入れた「鬼萩」があり、現在の人間国宝三輪壽雪の白釉鬼萩の作品は萩を代表する作品として余りにも有名になりました。

萩の作家
萩には現在120の窯元があり、その頂点に立つのが今年98歳になる三輪壽雪です。兄で10代三輪休雪と兄弟で人間国宝に指定されております。山口県指定の無形文化財保持者に坂田泥 殊(93歳)、大和保男(76歳)、野坂康起(77歳)、波多野善蔵(66歳)、岡田 裕(62歳)、らがおります。その他、壽雪の長男、三輪休雪(12代)や李勺光の流れを汲む名門の15代坂倉新兵衛や田原陶兵衛も、特にお茶の世界では有名な窯元です。
以上は皆、伝統工芸の作家ですが、芸術院会員の吉賀大眉の長男吉賀将夫を中心に日展系の作家も活躍しております。



太平山窯の商品

渋谷泥詩の作品

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